まもるの休日

休日に思索したことを表現したいと思いました

『50歳の自分は、23歳の自分に、その道は正しいよと言えると思う』

その「真を認識」せしめるような魂の「状態」、それがこれら両部分の卓越性ないしは徳(アレテー)にほかならない。
※高田 三郎. アリストテレス ニコマコス倫理学 上 (岩波文庫) (p.253). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. 

私は深く悩んで、熟慮した若者の判断は、その人の人生にとっては、正しいのだと思う。

私は50歳の会社員だ。
妻と息子がいて、毎日、仕事に追われながらも、平穏無事に暮らしている。

私は23歳から26歳まで、プロキックボクサーとして試合をしていた。
14歳からキックボクシングをはじめ、アマチュアの試合に出ていた。
大学4年生の時に、アマチュアで十分な実力があったので、プロの試合をしたいと考えた。
当時はキックボクシングは人気がないスポーツだったので、ファイトマネーでは生計が立てられなかった。
大学卒業後にアルバイトで生計を立てながら、試合をしていく生活になる。
当然、両親はその進路を反対した。
当時の私は若く、社会人経験がないため、どう生きればよいか分からなかった。深く悩んだ。
しかし、ブロキックボクサーになることは、私の14歳のころからの夢だった。

私は悩んだけども、プロキックボクサーになる道が、自分には正しいと思った。
何度も考え、何度も悩み、それでも正しいと思った。

私がプロになるころに、同年代のプロの選手が試合で死亡する事故があった。
そのため、プロは中途半端な気持ちではなれないと思った。やるなら環境を整えて、一生懸命練習する必要がある。
実家を出て、古く安いアパートに住み、工場や警備員のアルバイトをしながらプロキックボクサーとして試合をした。
3年間、しっかり練習を行い、全ての試合に全力で挑んだ。
同時にプロ活動を応援してくれる会社を探した。
理想はプロ活動を認めてくれた会社で働きながら、経済的に困らないで、生活を送ることだった。

日本ランキングも2位まであがり、日本タイトルマッチもできる可能性があった。

しかし、私はアルバイト生活は3年間と決めていた。3年間で応援してくれる会社か、働きながらプロ生活ができる会社が見つからなければ、辞めるつもりでいた。生活が困窮しながらプロ生活を送ることを望まなかった。

自分なりに、一生懸命その条件で働ける会社を探したが、私は見つけることが出来なかった。

プロを辞める時に、とても悩み、未練もあった。しかし、自分は辞めて、就職する決断をした。27歳で就職が決まり、人より遅く社会人生活をスタートした。

そして、50歳の今まで、何度か転職しながら、楽しい会社員生活を送っている。

20代の頃のわずか3年間だけのプロキックボクサーの生活だったけど、50歳の今、振り返っても、自分にとっては心から良かったと思っている。大好きなキックボクシングの練習を精一杯して、減量して、後楽園ホールで試合をしてきたことは、何よりも充実した日々だった。選手として、成功できたわけではないが、自分では納得して、選手生活を終えることができた、

私が人生を終えるとして、振り返った時に、思い出すのは、間違いなくあのプロで試合をした、3年間だ。

確信して言えるのは、23歳の自分は間違いなく、分かっていた。
今、プロキックボクサーにならないと、人生を後悔すると。

若く、経験もなく、愚鈍だったけど、心から悩んだので、23歳の自分は正しい道(自分自身の主体的な真)を認識できるような魂の状態だったと思う。

50歳の自分は、23歳の自分に、その道は正しいよと言えると思う。

さあ明日も仕事だ、頑張ろう。