僕は51歳の建築設備施工会社の営業職をしている、平凡な会社員だ。
僕は51歳の今ても、10代、20代の頃と基本的な考え方はあまり変わっていない。
無形の価値というものを、自分の人生で大切にしている。
無形の価値とは、僕の解釈では、お金や損得ではなく、自分の心が満足できること、人として正しい行動、やましくない行動をすることに価値を置くことだと考えている。
例えば、僕は10代から20代の頃に、キックボクシングに打ち込んでいた。
何故、そのスポーツに熱中したのか、自分でもよくわからない。とても面白いと思い、練習と試合に打ち込むことで、心の充実を感じることができた。
今考えると、自分にとって、とても相性が良いスポーツだったのだと思う。
マイナースポーツのキックボクシングを一生懸命やっても、職業として生計が立てられる可能性が低いのも分かっていたが、そんなことは気にしなかった。
23歳から26歳までプロキックボクサーとして試合をしたが、生計が立てられなかったので、工場や警備員のアルバイトをして、生活していた。
僕は26歳の時に、その年齢までキックボクシングができたことに満足できた。
そして、その後は生計を立てられて、家族を養える仕事をしたいと心から望んだ。
26歳の時の自分は心から、就職できることを望んだ。それが、その時の自分の心を満たすために必要なことだった。
中野孝次の清貧の思想にこんな文章がある。
P131
いまは無形の価値というあやふやなものでは満足できないかのように、すべてを数字であらわさないと気がすまないらしい。子どもの学習能力も絵画の価値もゆたかさもみな数字に換算し、数字の高いほどいいものとするふうだが、いったい何の値打ちがあろう。ひとつの生が真に充実してしていたかどうかは、内に満つるものによってしかわからず、それは数字などとはまったく無縁なものだ。
P163
真の人間は利得とか名聞とかそんなものにかかわるところにいない。ただ己の心の充実を求めるのみなのだ。『清貧の思想』 中野孝次 株式会社文藝春秋
僕が若い頃から感じていたことと、かなり近い考えだ。とても同意できる。
僕は周り道をしたかもしれないが、プロキックボクサーになれて、心から満足できた。
そして、辞めた後に、何とか生計が立てられる会社に就職できて、嬉しかった。
その後、今の建築設備施工会社の営業職という仕事に出会えて、とても心の充実を感じることができる。
他人から見ると、たいして稼いでないし、社会的に成功してる訳ではないと思われるかもしれない。
しかし、僕はこの仕事がとても自分には相性があってるのだと思う。とても面白く思い、仕事に打ち込むことで、心の充実を感じることができる。
少しだけ社会の役に立っているとも感じている。
今の会社と仕事に出会え、家族を養えることができることに感謝して、毎日一生懸命働きたい。