まもるの休日

休日に思索したことを表現したいと思いました

『楽しい』について

こんにちは、まもるです

【結論】
 主体的に行動すると『楽しい』です

先日、小学校高学年の息子が、友達2人と駅前のショッピングセンターで遊びたいと言ってきました。

子供3人でショッピングセンターで遊んで、変な人にからまれたり、トラブルに巻き込まれないかと少し心配しました。

しかし、妻から息子が友人と遊びに行くことを『楽しみ』にしていると聞いて、気持ち良く送り出すことにしました。

息子が遊びに行っている間は、私と妻は家でコーヒーを飲みながら、ゆっくりしていました。

しかし、つい気になってしまいます。妻と2人で、“子離れできてないね“と話しました。

息子が帰ってきてから、何をしたかを聞きました。

“映画を観てゲームセンターに行き、回転寿司で寿司を食べた"と誇らしげに話してきました。

お金をそんなに持っていってないので、“よく寿司を食べられたね“と聞くと、“残りのお金を計算して、5皿しか食べなかった“と答えました。

“使えるお金を考えて遊ぶのは『楽しいね』“と息子は言いました。

私はその言葉に驚きました。

子供でも、使えるお金を考えて、その中で『楽しめる』のだと感心しました。

むしろ、自分で使えるお金を考えるからこそ、『楽しい』のだと思います。

息子はしきりに『楽しかった』と言いました。

“主体的“に自分で遊びを計画し、友達と話し合い、親に口出しされずに遊ぶのは『楽しかった』のでしょう。

私も自分が『楽しかった』と思う時は、人に指図されずに、自分の裁量で“仕事“したり、“遊んだり“する時です。

会社でも人に細かく指図する上司のもとで働くと、『楽しく』ありません。

それは、やはり“主体的“に行動できるかどうかが、『楽しく』感じることと関係が深いと思っています。

指図や批判、怒られるなどがあると、“主体的“に行動できなくなります。

そうすると『楽しく』ないです。

そして指図や批判、怒るなどする人は大変問題がある人だと思います。

そんなことをすると、人は“主体性“を奪われます。

そして、“主体性“と深い関係がある、『楽しさ』を奪う、恐ろしい行動です。

私は息子に人生を『楽しんで』ほしいです。

私にできることは、彼の“主体性"を尊重し、余計な口出しをしないよう心がけることです。

そうすれば、彼は“主体的“に『楽しく』過ごせる気がします。