まもるの休日

休日に思索したことを表現したいと思いました

『夢』について

こんにちは、まもるです

 

【結論】
『夢』に向かって挑戦して心から良かったと思っています


中学生の頃に私には2つの『夢』がありました。一つはプロキックボクサーになること。もう一つはオーストラリアで生活することでした。

最大の『夢』はプロキックボクサーになることでした。

中学校3年生の時にたまたま家の近くにキックボクシングのジムがあり、興味本位で友人と入会しました。

そして、自分にその競技が向いていたこともあり、キックボクシングにのめりこみ没頭しました。

学生の間はアマチュアの試合に出ていましたが、どうしてもプロで自分を試してみたいと考えました。

大学卒業後に3年ほどプロキックボクサーをしていました。

大学を出てから正社員で働かずにプロキックボクサーになることに対して、両親の反対があったため、実家を出て安いアパートに住みました。
キックボクシングだけでは生活ができないため、工場の作業員や警備員などのアルバイトで生計を立てていました。

プロキックボクサーとしては3年間で10試合を行い、日本ランキングにも入りました。

私のキックボクサーだった頃の20数年前は、プロといっても普通の選手のファイトマネーは数万円から20万円程度でした。

年間3試合から5試合しかできないため、その収入ではとうてい生活できません。

少数(おそらく数パーセント)の選手は応援してもらえる企業があり、練習時間の確保や試合日を考慮してもらいながら、その企業で働いて給料をもらい選手生活をしていました。

または、応援してもらえなくても正社員で働きながら、なんとか時間の都合をつけて練習や試合をしている選手もいました。

しかし、多くの選手は時間の都合がつきやすいアルバイトをして選手生活をしています。

私はキックボクシングは身体に対してとても危険なスポーツだと考えていました。

実際にプロの試合で頭へのダメージが原因で亡くなっている人もいます。

マチュアの試合ならラウンド数も少なく、グローブも大きく、すねにプロテクターをつけるため安全性が高く生命の危険は少ないです。

しかし、プロの試合はラウンド数が多く、グローブは小さく、すねにプロテクターもつけない、肘打ちも許される危険なスポーツでした。

プロで試合をするには、十分な練習をして体調を整えることにより、試合をする勇気が出てきます。

心配症の私がプロ生活を続けるには、万全の練習ができる環境がなければなりませんでした。

3年間の間に何とか応援してもらえる企業を探していました。一社だけ応援してもらえそうな企業もありましたが、職種がどうしても自分に向いてなさそうなため、その企業で働くことをあきらめました。

私はプロになる時に3年間の期限で、応援してもらえる企業を見つけ、生計を立てられる目途が立たなければ辞めようと考えていました。

結局、その期限内にキックボクシングのプロ生活を続けて生計を立てる目途が立ちませんでした。

引退を決意した時に迷いがありました。身体は健康でしたし、頭にダメージもありませんでした。

長く続ければ日本タイトルマッチのチャンスも出てくる可能性もあります。

しかし、自分の心配症の性質から、3年間は我慢しましたが、経済的に不安定なアルバイト生活をさらに続けることはできませんでした。

完全な満足は得られずに、15歳から自分なりに、真剣に打ち込んだキックボクサーとしての生活は26歳で終了しました。

その後、小さなIT企業に3年ほど勤務してお金を貯めてから、オーストラリアに半年ほど語学留学しました。

そして30歳の時に大手の建築設備メーカーに就職しました。

正直な気持ちでは引退後10年ほどはキックボクシングへの未練があり、プロキックボクサーにもどりたい葛藤がありました。

しかし、30代中盤の年齢の時に結婚し子供ができたことにより日々の生活がかなり忙しくなりました。

毎日の仕事や家庭生活の雑事、子育てに追われる日々を過ごしていると、忙しさのためキックボクシングへの未練や満足できない気持ちを忘れるようになりました。

そして、30代中盤の年齢では体力的にプロキックボクサーに戻れないし、むしろ何の身体のダメージもなくプロキックボクサー生活を終えられたことに感謝するようになりました。

今はキックボクシングをやってきたことに感謝の気持ちを持っています。

自分の中では3年間、プロキックボクシングの厳しい練習と試合をしてきた誇りをもっているので、仕事や生活が辛い時には、自分はプロキックボクサーだと言い聞かせて乗り越える努力をしています。

わずか3年間のプロキックボクサー生活でしたが、私が人生を歩むうえで最大の心の拠りどころになっています。

もしも、自分の人生が終わる時がきて、人生を振り返る時に必ず思い出す出来事です。

キックボクサーとして成功はできませんでしたが、今は本当に心からプロキックボクサーになってよかったと思っています。

大成はできませんでしたが、『夢』に挑戦して心から良かったです。