
愛情( フィレーシス) ないしは 愛( フィリア)というものにもまた種別が存している。三つある
・有用のゆえにお互いを愛する
・快楽のゆえに愛する
・究極的な性質の愛は、善きひとびとのあいだにおける愛である。これら善きひとびとの愛は、彼らが善きひとであるかぎり永続する。
※高田 三郎. アリストテレス ニコマコス倫理学 上 (岩波文庫) (p.86-88). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
私は子供の時から、人付き合いがうまくなかった。
忘れもしないのは、中学1年生の時に、クラスメイトに悪ふざけで意地悪をしてしまった。
その時は悪ふざけなので、自分は悪くないと言い張り、謝らなかった。
しかし、中学1年生の3学期になり、私には友人がいないことに気がついた。
多少はクラスメイトとは話しをしていたが、遊びに誘われることもなかった。
私は子供だったけど、意地悪をしたり、失礼な態度を取るのは良くないと思い、自分を変えようと決意した。
面白いことも言えないし、人間的な魅力もないかもしれないが、出来るだけ、人に失礼にならないよう接しようと思った。
私は面白味はないけれども、その後は人から誘われるようになり、少しだけど友人や親友ができた。
50歳の今も、たまに会う学生時代の数人の友人と、頻繁に会う親友が2人いる。
そして、妻と出会い、結婚して家庭を築くこともできた。
あの時に、人に意地悪したことを反省し、変われて良かったと思っている。
アリストテレスの言うように、善きひとびとの愛は永続すると思う。
私が善きひとかは、分からないけれども、少なくとも、なるべく人に意地悪はしないようにしようと思っている。
善きひとになるように注意して生きていこう。
そうでないと、友人や家族も周りからいなくなるだろう。
さあ明日も仕事だ。善きひとになれるよう、頑張ろう。