
観照し学習するということから生ずる快楽は、ひとをして多々ますます観照し学習せしめるであろう。
※高田 三郎. アリストテレス ニコマコス倫理学 下 (岩波文庫) (p.67). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
※観照=主観をまじえないで物事を冷静に観察して、意味を明らかに知ること
私は今年の5月位からほとんど毎朝、出勤前に会社の最寄り駅のコーヒーショップでコーヒーを飲んでいる。
先日、店員さんに“毎日朝早くから、お店に来るので、コーヒーがお好きなのですね"と話しかけられた。
私はすぐに気の利いたことを言えないので、“ええ、まあ“としか答えられなかった。
せっかく店員さんが話しかけてくれたのに、スムースに話せなかったので、少し残念だった。
その後、私はゆっくり考えた。
何故毎朝コーヒーショップでコーヒーを飲むのだろうか。
もちろん、コーヒーの味も好きだが、ゆっくり考えごとをして、リラックスできるから、その時間が好きなのだ。
アリストテレスのような、高度な思索にふけることは、私にはできない。しかし、私なりに、今の仕事や、家族について、友人について考えることが好きだ。
それは、私にとって快楽である。
それは、悪くない習慣だと思う。
“コーヒーが好き"という言葉は、私には思索にふけり、コーヒーを飲むということが含まれている。
今度、コーヒーショップの店員さんに聞かれたら、自信を持って"コーヒーが好きです“と答えよう。
さあ、明日も仕事だ。頑張ろう。