
快楽が善でも悪でもないとするならば、苦痛もまた同様である
あしきひとはその過超を避けるのでなく、およそ全般的に苦痛というものを避けるのである。
※高田 三郎. アリストテレス ニコマコス倫理学 上 (岩波文庫) (p.71-p73). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
私は常に苦痛や苦悩がある。
特に仕事において苦痛や苦悩が多い。
納期が迫り、忙しくなったり、嫌な客や上司と仕事をしないといけない時もある。
私の仕事は、客先が建設業や電気設備業の会社なので乱暴な人もいる。
客先の中には、仕事が過酷なので、あきらかに人格が歪んでしまっている人もいる。
しかし、アリストテレスの言うように、苦痛や苦悩に善も悪もない。
そして、苦痛を全般的に避けるのは不可能だ。
そこで、よく考える必要がある。
大切なことは、今の環境の苦痛と苦悩が自分の許容範囲を超えているかどうかだ。
例えば、嫌な客でも長時間接しないで良い場合は、割と耐えられる。
しかし、仕事によっては、その客と長く接する場合もある。
その場合は耐えられない。
上司も自分で選べない。
特に我慢が限界を超えない程度の上司なら耐えられる。
しかし、利己的で人を利用するような上司の場合、私の我慢が限界になるような人もいる。その場合は、私は耐えられない。
客も上司もうまく距離が取れれば、そうする。
しかし、仕事の場合、どうしても距離を取れないこともある。
その場合は、耐える必要もない。転職すべきだと考えている。
そして、私はそれなりに長い社会人経験から、確信している。
嫌な奴とずっと接してると、自分も嫌な奴になってしまう。
魂が汚れるということが本当に起きてしまう。
だからこそ、自分がどこまで許容できるかを、正確に知ることが必要だ。
許容範囲を超えると、自分の人格が歪んでしまう。それを一番避ける必要がある。
うまく嫌な奴と距離が取れたり、苦痛が耐えられそうなら、その環境は悪くない。
なぜなら、耐えられる環境なら、自分の人格は歪まないからだ。
そして、苦痛や苦悩は必ずあるので、それを当たり前だと思うようにしている。
耐えられる苦痛は良い環境だ。耐えられない苦痛はすぐに環境を変えようと思う。
さあ、明日も仕事だ。人格が歪まないように頑張ろう。