まもるの休日

休日に思索したことを表現したいと思いました

『情理のある人の判断は正しく、良い判断だ。』

「同情に富んだ」とか「情理のある」とかいう場合のいわゆる情理(グノーメー)とは、「宜」(エピエイケス)がどこに存するかについてのただしい判断力を意味する。その証拠に、われわれは、「宜しきひと」(エピエイケース)とは何よりも同情に富んだひとであると考えている
ただしく判断するとは、だが、その判断における「宜」が真の「宜」であることを意味しているのである。

※高田 三郎. アリストテレス ニコマコス倫理学 上 (岩波文庫) (p.278). 株式会社 岩波書店. Kindle 版. 

※宜(よろしい)=その場にあてはまって都合がよい。ほどよい。
※情理(じょうり)=当事者の気持ちをくみとり、同時に道理にかなうようにする

アリストテレスは判断に情理の要素を入れることが正しいと言っている。
私はその意見に同意する。
たとえば、仕事の上司が合理的に判断して、冷徹な人だったら、安心して働けない。
私なら、距離をとり、その人とは仕事をしないような判断をすると思う。
しかし、合理的な判断でも、少しでも私の気持ちをくみとる姿勢がある上司なら、その人の下で働きたいと思う。
つまり、合理的な判断よりも、情理のある人の判断の方が人が離れないのだ。
情理のある人は、合理的な人よりも悩みが大きくなると思う。
当事者の気持ちなんて考えないで、合理的に仕事を進める方が効率的にできそうだ。
しかし、自分が部下であることを考えると、答えは簡単だ。
合理的な判断よりも、情理の判断の方が優れている。
それは、人が協力してくれるからだ。

私は面倒でも、情理を重視して、物事を判断したい。
それを重視すると悩みも大きくなると思う。
しかし、物事を判断するということは、悩むことなのだと思う。

情理のある人の判断は正しく、良い判断だ。

常に情理を持って物事を判断したい。

さあ、明日も仕事だ。頑張ろう。