
野暮なひとにいたっては、この種の交際には役に立たない。彼はまったくそれに寄与するところがなく、あらゆることがらに対して腹を立てるのである。休養や遊びは、しかしながら、人生において必須なものであると考えられる。
※高田 三郎. アリストテレス ニコマコス倫理学 上 (岩波文庫) (p.193). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
※野暮(やぼ)=世情や人情の機微に通じないこと、融通がきかないこと
野暮とは、人情の機微に鈍感なことだという。その意味では、私は若い頃は野暮だったと思う。
上手に休養や遊びもできず、人への気遣いもできなかった。
それは、私の頭が鈍いのが原因だと思う。
50歳の今は、苦手だけど、何とか頑張って気遣いをしようと努力している。
それは、人より遅い成長かもしれないが、人へ気遣いをしなければいけないと、理解できるようになった。
毎日腹を立て、人に嫌なことをして生きる人生と、毎日機嫌良くし、人に嫌なことをしないで、気遣いをする人生のどちらが優れているか。
どちらが、世情や人情の機微を考えているか。
そして、せっかく生きるならどちらの人生が良いか。
簡単な選択だ。
私は後者の生き方が良いと思うので、そう行動したいと思っている。
昔の人は、前者のような人を野暮と呼ぶのだろう。
とても、分かりやすい。
人に思いやりを持ち、人情の機微がわかるように気をつけたい。
野暮になりたくない。
明日は休みだ。友人と食事に行く。観照的な活動をしようと思う。