
その固有の卓越性に即しての活動が、究極的な幸福たるのでなくてはならぬ。それが観照的な活動にほかならないことは既に述べられた。
※高田 三郎. アリストテレス ニコマコス倫理学 下 (岩波文庫) (p.205). 株式会社 岩波書店. Kindle 版.
私は観照的な活動は幸福だという考えに同意する。
観照的な活動とは、書物を読み、議論し、思索にふける時間などを指すそうだ。
もっとも、アリストテレスのような偉大な哲学者と同じ次元のことを思索することはできない。
自分の知性のレベルにあったことしか、思索はできない。
しかし、知性のレベルは別にして、自分なりに思索にふけることは、本当に楽しいことだと思う。
書物を読み、仕事や家庭生活や子育てで色々な経験をして、それをふまえて、友人と話したり、議論することはとても楽しいことだ。
週末は友人と食事に行く約束をしている。
久々に会う友人とゆっくり食事でもとりながら、自分なりに思索したことを話すのが楽しみだ。
さあ、明日も仕事だ。週末の友人との食事を楽しみにして、頑張ろう。