
われわれへの関係における「中」とは、これに対して、多すぎず不足しないものの謂(い)いである。
「中」的にして最善であり、まさしくこうしたことが徳には属しているのである。
私は賢明ではないので、ワークライフバランスの取れた、人生を歩んでいない。
ワークライフバランスとは、仕事と生活の一方を犠牲にするのではなく、両方とも充実させることだと言われている。
私の場合は、何もないと、仕事に多くの時間を費やしている。
若い頃から自分が有能ではないのが分かっていたので、何とか人並の成果を上げようと思うと、長い残業をしなければならなかった。しかし、たまにワークライフバランスが強制的に取れることがあった。
それは、結婚して子供が生まれた時は、子供の世話を、妻と一緒にしなければならないので、仕事の時間を短くするようにした。
たとえ、会社での評価は低くなっても、子供の世話をするためには、早く家に帰った。
やがて、子供が少し大きくなると、また、残業を長くするようになった。
ところが、また、ワークライフバランスが取れることがあった。
それは、仕事に関係する国家資格試験を受けるようになった時だった。
会社から国家資格を取るように言われたので、受験することにした。
そうすると、仕事の時間を短くして、勉強をするようになった。
考えてみると、私は自主的に自分の意志でワークライフバランスを取っていない。
子育てとか、資格試験の勉強とか、仕方なく残業時間を短くするしかなかった。
そのことによって、仕事と生活の調和がたまたま、取れた。
そう考えると、子育てに取り組んだり、国家試験に取り組むことは、強制的にワークライフバランスが取れるので、よいことだと思う。
私は主体的に考えて、ワークライフバランスを取ることができなかった。だから、自分で考えて、仕事と生活を両方とも充実させることができる人を、素晴らしいと思う。
彼らは、徳がある人達だ。
是非見習いたい。
さあ、明日も仕事だ。頑張ろう。