
徳に帰依することとをまず選びとった者は、悲劇のまねごとをせず、泣き声を出さず、荒野をも群集をも必要としないだろう
※自省録 マルクス・アウレーリウス 神谷美恵子 訳 岩波書店
私の経験では、悲しい時に、人前で涙を見せずに、気丈に振舞う人は、本当に立派だと思う。
例えば、数年前に、私の親戚の一人が若くして亡くなった。
残された家族が葬式の時に、気丈に振る舞っていたことがあった。
私は親戚の家族の深い悲しみが分かるので、とても立派な振る舞いだと思った。
その時、私は彼らに、とても大きな尊敬の念を抱いた。
間違いなく、彼らの最大の悲しみの時に、冷静な態度がとれるのは、"徳“を持っていることだと思う。
つまり、立派な態度がとれた時は、すでに“徳“を持っているのだ。
そして、大切なことは今、持っている“徳"を失わないことだと思う。
私も同じように、多くの要素の“徳“を持っていると考えている。
日々の大変な生活があっても、今、持っている“徳“を失わないようにしたい。そして、より多くの要素の“徳"を持てるように努力したい。
土日は休みだ。思いっきり楽しいことをしよう。そしてゆっくり休もう。