過去という、われわれ人間に与えられた時間のこの部分は、神聖にして聖別されたものであり、すべての人事を超越し、運命の支配権の及ぶ圏外に置かれ、欠乏にも、恐怖にも、疾病の襲撃にも脅かされることのない時間である。過去は掻き乱すことも、奪うこともできない。それは永遠で不安のない所有物なのである。
※生の短さについて セネカ 大西英文 訳 岩波書店
私は愚鈍なので、面白いと思った、昔の思い出話しを何度もしてしまう。頭の回転の早い妻には、『その話しは以前聞いた』と冷たく言われてしまう。
しかし、私が同じ話しをしても、中学からの友人には注意されないし、友人が以前話した、同じ思い出話しをしても、私は特に気にしない。悪いことだ思わない。
それどころか、同じ思い出話しを何度もすると、切り口が変わったり、話しが端的になったりする。やがて、洗練されてくるから、より面白い話しに進化することがある。
私はセネカが言うように、過去の思い出話しは、誰にも邪魔されない、奪われない、本当に楽しいものだと思う。
古くからの友人と、過去の面白かった話しをするのが、とても好きだ。
しかし、友人の中に、過去の話しばかりしてる奴は、今を生きていないのでつまらないと言う奴がいた。
私はそういう奴をかわいそうだと思う。
せっかく過去に面白い話しがたくさんあるのに、話さないのは、もったいないと思う。
私は自分の過去の話しをするのも好きだし、友人の過去の思い出話しを聞くのも好きだ。
過去を振り返って、楽しかったことを思い出して、人とおしゃべりするのが本当に楽しい。
今日も寝る前に楽しかった過去の思い出を振り返ろうと思う。
さあ、明日は休みだ。楽しいことをたくさんしよう。