快楽を享楽し、いかなる快楽をも慎まないひとは放埓となり、あらゆる快楽を避けるならば、まったくの田舎者のように、いわば無感覚なひととなる。かくして節制も勇敢も「過超」と「不足」によって失われ「中庸」によって保たれるのである。
私は50歳になって注意していることがある。
それは、何かに打ち込み過ぎないことだ。
例えば、仕事は大切だが、あまり打ち込み過ぎないように注意している。
第二種電気工事士の実技試験の勉強も打ち込み過ぎないようにしている。
仕事しながら、できる範囲で勉強している。あまり、やりすぎると、精神が病んでしまうからだ。
私は精神力が強くないので、無理は絶対にしない。
若い頃は全てをなげうって、ひとつのことに没頭している人を尊敬していたし、自分もそうなりたいと思っていた。
発言も、何か極端なことを言う人が魅力があり、平凡なことを言う人は、つまらないと思っていた。
しかし、年齢を重ねた今は、若い頃とは考え方が違ってきた。
極端な行動をとる人や、極端な過激なことを言う人は信用できない。
浅はかな考えで、自分中心の人に見える。
私は、あたりさわりのない、バランスが取れた発言をする人の方が、信用できる。
思慮深く、人のことを思いやっているように見える。
若い時はそう思わなかったが、50歳になった今は、中庸がよいという、アリストテレスの意見に共感できる。
つまり、仕事、資格の勉強、家庭生活、友人関係など、何かに没頭するのではなく、バランスを取って生活していきたい。中庸がよい。
さあ、明日も仕事だ。やりすぎないで働こう。