今日の社会は、すべての働く人々にとって、ある無慈悲なものを持っているのである。人々は牛馬のように、倒れるまで追い立てられる。倒れたなら、すなわち「使いはたされた」のであって、あとには新しいのがいつでも豊富に控えている。ところで、このようにあせって、落ち着きなく働いた結果は、概して大したものではない。
あせらずに生活しても、なお何事かなしとげることができるに相違ない。
そのために第一に必要なことは、自分の意志なしに一般の潮流におし流されることなく、むしろこれに抵抗して、あくまでも自由人として生活しようという決心であって、仕事にせよ、享楽にせよ、決してその奴隷となってはならいのである。
※幸福論 第一部 ヒルティ 草間平作訳 岩波書店
私は配偶者がいて、反抗期の息子がいて、会社員である。
外から見ると自由人には見えないかもしれない。
しかし、自由人だと思い込むようにしている。
仕事は自分が好きな、建築設備の営業をしている。
もし、会社が嫌なら、いつでも別の会社に転職しようと思っている。
今までも、会社や人間関係に不満があれば、次の会社の就職を決めてから、思い切って転職してきた。
友人でも、とても失礼な態度を取られたら、思い切って友人関係を辞めようと思っている。もちろん断ち切れないしがらみもあるが、いざとなれば全部捨てることはできる。自分は自由なんだと言い聞かせている。
疲れた時は思い切って休んでもいいと思っている。
特に休日は、人に指図されずに好きなことをやろう。
私は自由人だ。
さあ、明日も仕事が休みだ。誰にも指図されずに好きなように休もう。