お互いの人間自身ゆえに友でありうるのは、明らかに善きひとびとのみにかぎられる。事実、あしきひとびは、何らかの利益が得られるというのならばとにかく、お互いの人間自身に悦びを感ずることはないのだからである。
※ニコマコス倫理学 下 アリストテレス 高田三郎 訳 岩波書店
私は、今でも中学、高校時代の友人達と数ヶ月に1度会う。
みんな50歳だが、会う時は、中学生や高校生に戻ったような気持ちになる。
自分が年をとっていることを忘れてしまう。
彼らも同じように、昔に戻ったように、幼稚で悪ふざけした会話をする。それが、とても楽しい。
集まるメンバーは、とてもいい奴ばかりだ。
毎日一緒に過ごしていたら、腹も立つし、ケンカにもなるが、滅多に会わなければ、とても楽しく過ごすことができる。
そして、同級生の他の奴も呼ぼうかと、話しになる時に、「面倒くさい奴は呼ぶのをやめよう」ということになる。
つまり、いい奴じゃないと、周りの人間から声がかからなくなってしまう。そして同じように、離婚や転職など、生活が大変そうな人も、呼ぶのを遠慮してしまう。
そう考えると、友人達と会って、楽しく過ごすには、人に気配りできて、さらに自分の仕事と家庭をうまくやっていく必要がある。
毎日一生懸命生きて、嫌な奴にならなければ、友人と継続的に楽しく会える。
私は寂しがり屋なので、嫌な奴にならない努力をして、友人達と楽しく過ごしたい。
明日も頑張って、嫌な奴にならないようにしよう。