まもるの休日

休日に思索したことを表現したいと思いました

『上機嫌の努力』

私は妻が台所で家事をしながら、鼻歌を歌っているのを何度か聞いたことがあった。

台所の近くの洗面台に顔や手を洗いにきた私には気がつかなかったようだった。

上機嫌に鼻歌を歌う彼女を見ると、何ともいえない嬉しい気持ちになる。機嫌が良さそうな人は周りの人間に良い影響を与えると思う。

妻は他人に鼻歌が聞こえたのが分かると、少し恥ずかしいだろうと思うので、言わないようにしている。

上機嫌であることは、周りの人に良い影響を与えるし、何より自分が幸福感を持つことができると思う。

アランの幸福論の中にこんな文章がある。

"ほんとうを言えば、上機嫌など存在しないのだ。気分というのは、正確に言えば、いつも悪いものなのだ。 だから、幸福とはすべて、意志と自己克服とによるものである。" 

岩波書店 アラン 幸福論 神谷幹夫

この言葉は共感できることがある。私も普段は常に上機嫌でははない。不機嫌というわけではないが、上機嫌を全面的に表に出すことはなかった。

そうなるには、自分の意志でそのようなふるまいをする必要がある。

それが努力なのだと思う。

自分が上機嫌でいることが、周りの人にとっても良いことだとしたら、努力をする価値があると思っている。

私の今の人生の目標は幸福になることだが、上機嫌であることは、重要な要素だと思っている。

周りの人を見ても、上機嫌なことが多い人は幸せそうに見えるし、実際に幸せなのだと思う。

逆に常に機嫌が悪い人は、例え地位、名誉、金を持っていても幸福からは遠い気がする。

上機嫌になるには、ある程度の決意が必要なのだ。

そして、技術的には妻のよく使っている、鼻歌を歌うことはとても良い手段だと思う。

私は槇原敬之の「どんなときも」がとても好きなので、その歌の鼻歌を歌うようにしている。

鼻歌を歌うと、何故か機嫌が良くなる気がする。

人には苦笑されるかもしれないが、今の私は大真面目に上機嫌になるために、努力をしようと考えている。

そして、鼻歌を歌うのもその努力のひとつだと考えている。

今の私の人生の目標はなるべく上機嫌でいることだ。